日本女子バスケットボール界をけん引する一人、林咲希選手。
3ポイントシュートを武器に、日本代表としても何度も活躍してきた林咲希選手ですが、実はこれまでに何度も怪我という大きな壁に直面してきました。
コートに立ち続けるために、何度もリハビリや苦しいトレーニングを乗り越えてきた林咲希選手。
そんな彼女を支えていたのは、ひたむきな努力を惜しまなかった父親の存在でもありました。
この記事では、林咲希選手の怪我の経緯と現在の状態を中心に、父とのエピソードや結婚の情報、高校時代の活躍までを詳しくご紹介します。
林咲希の怪我歴と現在の状態は?
2024年11月10日のアクシデント
2024年11月10日、富士通レッドウェーブ vs デンソーアイリス戦のときに、右足首を負傷し、途中でコートを去るという衝撃的な出来事がありました。
接触プレーの際に足をひねったような形で転倒し、痛みを訴えて担架で運ばれた林咲希選手。
ファンや関係者にとっても、非常に心配な瞬間となりました。
その後しばらく試合からは離脱。
チームを支える存在として、林咲希選手の不在は大きな痛手となりました。
約4ヶ月半の離脱、そして感動の復帰
それから約4ヶ月半のリハビリ期間を経て、2025年3月29日、ついに林咲希選手が公式戦のコートに復帰しました。
この日行われた試合では、第2クォーター途中から出場し、約9分間プレー。
久しぶりの実戦ながらも、ブランクを感じさせないプレーでファンを沸かせました。
怪我を乗り越えて再びコートに立つ林咲希選手の姿は、多くの人に勇気と感動を与えるものとなりました。
現在の状態と今後
2025年6月現在、林咲希選手は試合への出場機会を徐々に増やしながら、本格的な完全復帰に向けて調整を続けている状況です。
プレータイムはまだ制限されている場面もありますが、コンディションは着実に回復しており、チームの中で再び存在感を高めつつあります。
林咲希選手は、自身のSNSなどを通じて「焦らず、自分らしくバスケと向き合っていく」と前向きな思いを綴っており、その姿勢に多くのファンが励まされています。
林咲希の父・結婚情報について
父・豊樹さんとの深い絆
林咲希選手の父・林豊樹さんは、福岡県糸島市の職員として働くかたわら、地元の小学生向けに「雷山ミニバスケットボールクラブ」を立ち上げるなど、地域のバスケ普及に尽力していた方です。
しかし、2017年8月25日、豊樹さんは口腔底がんのため53歳という若さで逝去されました。
病状が悪化し、手術を2度受けながらも、「休んだら子どもたちに示しがつかない」と、退院の翌日から仕事に復帰しようとするほど、責任感が強く、誠実な人柄だったそうです。
林咲希選手は、そんな父の姿勢を深く尊敬しており、自身のプレーやバスケに対する真摯な姿勢にも、父の影響が色濃く表れています。
試合で見せるひたむきな姿や、どんなときも前を向く強さには、父から受け継いだ精神が息づいているのかもしれません。
結婚している?現在の私生活は
近年、SNSやネット検索で「林咲希 結婚」というワードがたびたび見られますが、2025年6月現在、林咲希選手が結婚しているという公式な情報は公表されていません。
テレビやインタビューでも私生活についてはあまり語らない林咲希選手。
恋愛や家庭よりも、現在はバスケットボールに全力を注いでいる様子がうかがえます。
美しく力強いプレースタイルから注目される林咲希選手ですが、そのプライベートは非常に控えめで、アスリートとしての集中力やプロ意識の高さを感じさせます。
ファンとしては気になるところではありますが、今はまず、完全復帰とこれからの活躍に注目したいですね。
林咲希の高校時代の活躍について
林咲希選手のバスケットボール人生は、地元・福岡県で始まりました。
最初にボールを手にしたのは、小学生時代に父・豊樹さんが立ち上げた「雷山ミニバスケットボールクラブ」。
このクラブで基礎を学び、バスケの楽しさを体いっぱいに感じながら、着実に力を伸ばしていきました。
その後は、糸島市の前原中学校へ進学。
中学時代もチームの中心選手として活躍し、地元でも将来を期待される存在へと成長していきます。
そして高校は、バスケ強豪校として知られる精華女子高校へ進学。
ここでも林咲希選手は実力を発揮し、インターハイではベスト16進出という成績を収めました。
また、都道府県対抗で行われる国民体育大会(国体)では福岡県代表に選出され、見事準優勝に貢献。
当時から高い技術と精神力を兼ね備えた選手として、指導者や仲間からも厚い信頼を寄せられていたそうです。
ちなみに高校時代の林咲希選手は、今のような3ポイントシューターではなく、ミドルシュートが得意なパワーフォワード/センターとしてプレーしていました。
主にインサイドで体を張りながら得点を重ね、リバウンドやディフェンスでも存在感を発揮。
まさに「頼れる屋台骨」として、チームを支える重要な役割を担っていました。
その後、大学・社会人・代表とキャリアを進める中で、プレースタイルを徐々にシューター型へと変化させていった林咲希選手。
高校時代の経験は、今のオールラウンドなプレーの土台となっているのかもしれません。
プロフィール
名前:林 咲希(はやし さき)
生年月日:1995年3月16日
年齢:30歳(2025年6月現在)
出身地:福岡県糸島市
身長/体重:173cm/67kg
ポジション:シューティングガード(SG)
出身中学:前原中学校
出身高校:精華女子高等学校(福岡県)
出身大学:白鷗大学
所属チーム:富士通レッドウェーブ(Wリーグ)
代表歴:
- 2018年 FIBA女子ワールドカップ出場
- 2019年 FIBA女子アジアカップ 金メダル
- 2021年 東京オリンピック 銀メダル獲得メンバー
コートネーム:キキ
得意なプレー:3ポイントシュート、アウトサイドからの得点力
家族構成:母・姉(※父・豊樹さんは2017年に逝去)
まとめ
林咲希選手は、華やかなプレーの裏で数々の怪我や困難を乗り越えてきた選手です。
2024年11月の負傷から長期離脱を余儀なくされながらも、2025年3月には無事復帰。
今もなお、コートで全力を尽くす姿に、多くのファンが勇気づけられています。
そんな林咲希選手の芯の強さの原点には、早くに亡くなった父・豊樹さんの姿がありました。
バスケへの情熱、ひたむきな努力、周囲への感謝の気持ち。
どれも林咲希選手のプレーから伝わってくるものばかりです。
結婚に関する公式情報は今のところありませんが、それ以上に今は選手としての自分を磨き続ける日々。
高校時代の経験や父との思い出を胸に、これからも林咲希選手は前を向いて進んでいくことでしょう。
今後の活躍からも目が離せません!
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